草原の匂いは、とても懐かしい匂いだった。自然はいつも人間に心地よい印象を与えるが、時には牙を向けることもある。だがハルにとっては暖かい印象しか無い様な気がする。

子供の頃遊びまわっていた場所と似ているからか、それとも天国のようなその場所に見えたからか。どちらにしろ、居心地がいい景観をしているのは確かだ。

暖かく、柔らかい風が髪を撫でて、スカートを揺らしていく。風は何処から来ているのだろう。

動物達が過ごしていそうなこの場所には、生きている気配が何処にも無い。それなのに小鳥のさえずりが聞こえてくる。音の方向を向けば遠い緑の森。歩いて行こうとしても距離は縮まることなく、ずっと同じ景色を見ながら歩いているだけだった。

湖のほとりで腰かけている後姿は、どうして、という気持ちが浮かぶ。

すっ、と眼を細めて見つめると、くるりと振り返った。

最初からこちらにいることを知っているというのに、どうしてわざと知らない顔をしてそっぽを向いていたのだろうか。

 

 

 

「どうして、クロームちゃんじゃなくてハルなんでしょうか。」

「おや、いきなり質問ですか?」

昨日、初めて夢で会ってから、学校に行っても家に帰ってきてもそればかり気になっていた。いきなり眠っていると、夢の中で出会った六道骸という男には、待っている人がいる。

会った事もないのに、知っている感じがしたのはそのヘアースタイルだろう。そしてその綺麗な顔立ちと、瞳の色。そして雰囲気。

六道骸さんですか。と問いかけると、イエスと簡単に答えた。

「此処最近、骸様と会話が出来ないの・・・」

と、今日も髑髏に相談されたハルとしては、何も言う事が出来なかった。

言葉を失ったという方が正しいかもしれない。ハルにしてみれば、悪い意味での有名人だ。

髑髏には悪いが、ツナや並盛の人間に聞けばいい噂は聞いたことが無い。身内には優しいのはどんな人間でも同じである。第三者から見た人物像の方が、はっきりとした輪郭を持っている事が多々ある。

だが、ハルは少しだけの、保険として、何か危ない動きをして来たら一発殴るくらいは、という気持ちで骸と退治していた。

色んな角度から見た六道骸という人物は、危ないが、優しい人でもあるのだ。ツナの瞳から見た六道骸と、髑髏から見た六道骸は同一人物。

始めて会った夢は、自分が生み出したものなのかもしれないと思っていたから、ただ落ち込んでいる髑髏を慰めて、それから時間が経った後にふと、あれはもしかして髑髏が言っていた精神世界というものなのかもしれないと思い始めた。

そしてドキドキしながら眠りにつくと、昨日と同じ夢の世界で、また六道骸と出会った。

草原の中に優雅にたたずむ男を見て確信を得たハルは、純粋な疑問が生まれた。

あんなに心配している髑髏ではなく、どうしてこのハルなのかと。

会った事もなければ話した事もない六道骸が、どうして三浦ハルの夢の中に足しげく通って来るのか。

「そうですねぇ・・・まぁ、僕の精神が一番近い人物だからだと思いますよ。」

「近い・・・?」

「僕自身が勝手に近寄っているんです。気にしないでください。」

曖昧にぼかされて、笑顔で誤魔化された。

この幻想空間の中はこの六道骸のもの。そして自分の質問を容易く受け流す骸は、とても危ない人間だと分かる。

簡単に手玉に取られて、ハルのペースはどんどん乱されてしまうだろう。

そんな危ない雰囲気を、分かっていることも分かっている。この世界は六道骸の手中。六道骸自身だ。その中で人の心を読めない、なんてことは絶対にない。

何を理解して、何を理解していないのかきっと分かるはず。

神様みたいだと思うけど、本当は違うものに違いない。もっと、怖くて、恐ろしくて、魔王、みたいな。

「ハルさんは、」

そういえば、初めて会った時からハルさんと呼ばれていた。

三浦でも無く、名前を尋ねるでも無く。まるで生まれた瞬間から、貴方の存在を認知していましたとでも言う様に

ハルさんと。前から知っていたかのように、親しげに呼んできた。

「今日、何がありましたか?」

「・・・はひ・・・?」

「貴方の心が、いつも以上にざわめいているから」

確かにそうかもしれない。学校に居る時より、親と会話をしている時よりも緊張感と警戒心が働いているのかもしれない。

その原因が今じゃなく、今日と言う幅広い選択肢にする所がどうにもハルには不思議に思えた。そんな事を分からない程の馬鹿な男ではない。むしろ同い年の男の子よりも聡明な人。

そんな事を言っても全く意味は無いのだろう。ハルは少し言葉を探すそぶりを見せるが、骸にはそれが嘘だとばれている。

眼を向けることが出来ない、眼を背けることしかできない。そう考えると苦しくなって息苦しくなって、肺が恐縮する感覚が身体を支配して眼が覚める。

いつも通りの自分の部屋の朝の光景に息を荒げながらできるだけ感じようとしていた。

胸に手を当てて、ばくばくと鳴る心臓を手のひらで感じながら、はあ、と息を吐いた。額に滲んだ汗を袖で拭ってベッドから降りた。

カーテンを開けて爽やかな日差しを浴びて、窓を開けた。鳥の鳴き声と人が動き出す気配を孕んだ空気の流れを感じながら、下の道路に眼を向けた。

犬にリードをつけて歩いている老人の姿が見えた。色んな所に眼を向けたが、当たり前のように六道骸の姿は見えなかった。

もしかしたら今眼が覚めたと感じているのも、彼がつくった幻覚の中の感覚なのではないかと思ってしまう。

そしてその日に会った髑髏が、また骸の事について涙を流してハルに相談をしてくる事も、更にハルの頭を何かが蝕んでいる感覚が拭い去ることが出来ないでいた。

「骸様、いつもなら寝ている時に来てくれるの。それなのに、最近は全然・・・」

その言葉を聞いてやはり思うのは、どうしてハルの所に来るのだろうと言う事だった。

どうしてハルの所になんか来るのだろうか、そしてハルの脳に何かを植え付けている六道骸の顔を思い出しては、必ず後ろを振り返るようになった自分自身が何かに侵されている事を如実に警報として知らせるのだった。

 

 

 

「骸さん。」

「何でしょう。」

湖に足をつけながらハルは、少し距離を取って木の幹に身体を預けて座っている骸に話しかけた。

「ハルは夢を見ているんですよね?」

「そうです。」

ぴちゃん、と水面を引っ掻くように足先を振り上げたれば、冷たい水が肌に纏わりつき、飛沫が波紋を広げて湖を歪めた。地面に触れている手の平から、湿った土の冷たさと匂いが感じる。

「それじゃあ、貴方はハルの中で作り上げられた幻?」

「いいえ。」

クフフ、と骸は笑った。その声の響きや感じる事全てがあまりにもリアルだった。きっと触れれば暖かく、服の手触りや肌の生きたぬくもりを感じる事が出来るのだろう。

だからこそ不思議だった。夢を共有する事が出来る人物だとはきいていたけれど、それを自分が体験するとなると、不思議な感覚だ。

こんな事をしているから、六道骸とクローム髑髏の絶対的絆が作り上げられたのだろう。

「クロームちゃんの夢に、行ってあげてください。ハルの所に来れたのでしたら行けるんでしょう?凄く、心配していたんですよ?」

「・・・ええ、そうですねえ。」

はっきりしないように言葉を濁す骸に、ハルは少し唇を尖らせた。知らないはずが無いのに、どうしてそんな事を言うの。と、問いただしたかった。

「クロームちゃんは凄く、心配していたんですよ、骸さんの事。」

「今もしているでしょうねえ。」

「・・・薄情な人です・・・」

「信頼していると言ってほしいですね。」

「そういう乙女心を弄ぶ人、好きじゃないです。」

「クフフ。貴女も大概酷い人ですよ。」

指先で顎を引っ掛けて、視線を合わせる。この手なれた感じも、ハルにいい印象を与えない。

だが、ルビーとエメラルドのような綺麗なオッドアイは、ハルの琴線に触れる美しさがあった。まるで美術館で硝子越しに見ているような、そんな高貴な雰囲気があるのだ。

「考えていないわけはありませんよね?貴女は考え過ぎる人ですから。」

「・・・・骸さん・・・」

そっと、このまま唇を奪ってしまおう。と、言う風に顔を近づけてきたので手でふさいだ。ハルは骸の美しい顔を間近で見ながら、恋の切なさと甘酸っぱさしか知らなかったハルが、今度は苦さまでも経験しようとしていた。

「好きだと言えるのなら、好きだと言ってください。」

ハルにとってみれば簡単なことだ、簡単に、素直に身を任せて口から放たれる想いの言葉。

その軽薄さがいけなかったのだろうか、と、睫毛を震わせて、頬に押しつけられた唇の感触にゆっくりと眼を閉じた。

 

 

 

ハル←骸←クローム

心機一転やろうぜ!と思った第一弾がこれです。何故だ。