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携帯電話に表示される番号と登録した名前が出るようになったのは、M・Mとしては嬉しい進歩だと感じていた。
もしもこんな陳腐な事にすら誰かが気付いてくれなければ、この機能は今だ付かず、無駄に大きな電話や煩いベルがついた家に固定された電話やら、バッテリーを背負って街中を歩かなければいけないかもしれない。
ベッドに置かれた携帯が着信を小さな身体で精いっぱい教えようとしているように見えるが、腰かけたM・Mは眉を寄せて冷ややかな眼で覗きこみ、その名前があまり好ましい人物でない事を確認するとマニキュアをまた塗りだし始めた。
両手と同じ真っ赤なマニキュアの匂いを感じながら、右足の膝に顎を乗せて、ゆっくりと丁寧に、電話が鳴っている事など瑣末な事だとでも言う様に塗っていた。
足先に彩りを見せられるのは爪だけなのだから。
男がこの爪先に唇を押しつける時には、最低限のマナーとしての美しさを備えておかなければいけない。
だが、これから行く場所はパーティー会場でも社交場でも何でもない。男が跪いて唇を押しつけるような場所には行かないのだ。
M・Mは小指から塗りだし、最後の大きな親指の爪に思い切り、だがとても丁寧に塗り、暫く見つめて満足したようにマニキュアの瓶を閉めて乾かそうと息を吹きかけた。
そうしていると浴室のドアが開き、頭にタオルを乗せている男がバスローブを着て出てきた。
このホテルに備え付けられているシャンプーの香りは、M・Mはあまり好きではなかった。なので自分で店で買って来た他のシャンプーとリンスを使用するようにと言ったのに。
「臭い。」
「今洗って来たばかりだというのに。」
「その匂い気に居らないのよ。」
「ヌフフ。」
「笑わないでよ、殺したくなるじゃないの。」
赤子の手を捻るように、その手からナイフを落とす事なんて簡単だとでもいうようにスペードは笑みを浮かべたままペディキュアを乾かしているM・Mの隣に腰を下ろした。
「おや、赤ですか・・・どちらかと言えば水色とか、青がよかったのですが。」
「アンタの髪の色だからって?そんなの捻りも何も無いじゃない。」
「じゃあその色にはどんな意味が?」
「アンタの血の色って事。」
「僕じゃなくて、この身体の持ち主は赤い血でしょうねえ。」
「ふーん。」
意味など、最初から爪に塗りたくってはいない。ただ、白い脚と赤い唇に映えるようにと、適当に無難な色を選んだのだ。
ピンク色でもよかったのだが、もしそれを塗っているM・Mをスペードが見たらきっと笑うだろうと思い避けたのだ。
M・Mの肩を抱いて綺麗に塗られた爪を見つめた。かわいらしい脚だ、と耳元で誘う様に囁いた。
虫が肩についた時と同じようにスペードの手を掃い落して顔をスペードの方へ向けた。
「ヴィトンのバッグ」
「来世払いで」
「駄目な男ね。」
「ヌフフ、手厳しい。」
払い落された手を摩りながら、少し濡れた髪の毛が揺れて、M・Mの頬に擽るように触れた。頬に吐息がかかり、M・Mは眉間に皺を寄せた。
「来ないでくれる?」
「機嫌が悪いですね、どうしましたか?」
「馬鹿な男ね。だから、その匂い大嫌いなのよ。さっきも言ったでしょ」
言葉通り馬鹿な男を見るようにスペードを睨みつけ、ベッドから立ち上がって、近くの椅子を引いて座った。その際に音は出ず、床に敷かれたカーペットの上をごわつきながら移動していた。
スペードは邪険に扱われた事など理解していないような笑顔を貼りつけてM・Mを見ている。
M・Mもスペードを見ている。本当にそっくりだ。もしかしたら、私の好みに似せるための仮面なのかもしれない。そう思って見ていたが、脳裏に浮かび上がった心の底から笑っていない笑顔を思いだした、こちらを見つめる赤と緑の瞳が、口端を引き上げ、何かを企み、自らの流れに人を巻き込む言葉を吐き出す唇が名前を呼ぶ様を暗闇の中でただ一人の人間が佇んでいる光景を眼を閉じて想像した。身体が震えた。
「眠いのですか?」
「違うわよ。」
すっ、と、長い睫毛を動かして瞼を開けた。同じ顔の造形の男が、同じように心の底から笑っていない、癖となっている微笑を浮かべてこちらを見ている。紙の色も瞳の色も、根本的にあるマフィアの概念が全く違う赤の他人の二人だ。M・Mの中では当たり前だがイコールで繋げることは出来ない。
遠目から見たらよかったのかもしれないが、こうして近づいてみると酷く違って見えるのだ。
「何を考えていた?」
「骸ちゃん。」
「どんな事を?」
「野暮ね。」
「気になるから聞いているんじゃありませんか。」
「いいじゃない、別に。昔の男の事をちょっと思いだしてるくらい。」
「昔ですか、じゃあもう貴女の中ではちゃんと清算しているという事になりますが。」
「私の昔は一時間前も当てはまるのよ。」
「ヌフフ、私の昔は何十年も前の事になりますが・・・年の差をこれほど感じたことはありませんよ。」
「アンタだって、昔の女を思いだしている時あるでしょ?」
M・Mがどうでもいいと言う風に、澄ましてそんな事を言った。スペードは相も変わらずM・Mを見つめていたが、彼女は自分の右手の爪を指を折って見ている。片足を椅子に乗せて、その赤いつま先をスペードに向けている。左手でその膝を抱えながら、手首を捻ってその光沢を見ている。
ヌフフ、と、スペードが思わず漏れてしまった静かな笑い声に気が付き、M・Mが顔を向ける。
「何?」
「いえ、別に。」
ベッドに沈んだ携帯電話がまた震えだした。二人の中の空気に振動し、M・Mが溜息を吐いた。
「面倒くさいわね・・・」
「もしかして、噂の昔の男でしょうか。」
「違うわよ。性質の悪いマッドサイエンティストよ、きっと。」
M・Mが椅子から立ち上がり、ベッドに置いた自分の携帯をひったくるように取り、液晶画面を見て更に眉間の皺を深くしていた。やっぱりね、と声を漏らした。
だがすぐに携帯の振動は止み、すぐにまた携帯が動き出した。
「出たらどうです?」
「メール。」
無駄に携帯を鳴らしても要件を伝える事が出来ないと感じたのか、文面でその意思をM・Mに伝えていた。
メールを見た瞬間にM・Mは自分の考えが間違っていなかったと感じ、そしてこんな事を言って来るヴェルデに嫌悪を覚えた。
「なんて?」
「どうせなら臓器を売ってしまわないか?ですって。馬鹿みたいよね。」
「ヌフフ・・・まあ、この身体は別にどうでもいいんですけどね。」
臓器で身体がウインナーのようにぼこぼこに膨れ上がってでもいいから、そのままで死にたいものだ。とM・Mは思った。だが脳裏に、もし売ったらいくらくらいするのだろうという、少し琴線に触れ、斜め上を睨みつけるようにして頭の中で計算している。スペードは荷物をまとめている鞄の中から、適当に服を取り出してバスローブを脱いでそれを着た。
「スーツ着てよ。」
「貴女がそう言うのでしたらそうしますが。」
「・・・嘘よ、別に何でもいいわ。」
そして鞄を持ち、お金に脳を埋め尽くされそうになっているM・Mに声をかけてホテルの部屋を出た。ガラス張りのクリスタルエレベーターに乗り込み、一階のボタンを押した。
M・Mが落ちて行く外の景色を眺めていると、スペードも同じように見ていた。少し感じる身体の臓器が軽くなる感覚に少し思う事があったらしい。M・Mは眼を細めてその感覚を忘れないようにとしている様子だった。
ロビーでチェックアウトをしたスペードは、先にホテルの前に立って空を見上げているM・Mの後ろ姿を見て、怖気ついてしまったか。と思った。
「アンタはどっちがいい?」
「何がですか?」
額に手を添えて日差しを遮りながらM・Mは耐えきれないと言う様に口元の笑みを隠さず言った。
「私だったらどっちがいいかしら。」
殺すのと殺されるの。
ニヤリ、と、金を要求する時と同じ、恍惚とした意地悪な笑みを浮かべてスペードを見上げた。
虚を突かれたような顔をしてすぐに、また癖になった笑い方でM・Mに言った。
「貴女を殺した後、脚の爪に毒を塗って思う存分舐めて死にたいですね。」
「駄目な男ね。」
M・Mは呆れたような声音で、だがまんざらでも無い顔でそう言った。
きっと二人共、死因は溺死である。
何でこんなにもM・Mとスペードに惹かれるのか分かりません・・っ!
骸Mよりもこっちの方が色んな事が出来るので萌えます。たまらん!