沈黙ばかり保っていても何もならないと知っている、心優しいマフィアのボスは、意を決したようにハルに向かって口を開いた。

その口から吐き出す言葉の意味を、ハルはツナの身体の中で熟成させている気持ちを言葉と変える前の材料を知っていた。材質、思いやり。

「ハル、雲雀さんに言ってくれないかな・・・」

「何をどう言えばいいんです?」

「うーん・・・あの、仕事はほどほどにとか・・・」

「毎日言ってますよ。」

「じゃあもっとニュアンスを濁して別の言い方で・・・」

「鮫は泳ぎ続けないと死んでしまうんですよツナさん。それって、泳ぎ続ける事で酸素を取り込んでいるからなんですけど、雲雀さんにとってはきっと、それは呼吸と同じ事だと思うんです。」

薬品の匂いが強く、色んな衰弱した人が点滴をしたまま歩きまわっている中で、ハルははっきりと断った。お手上げだと宣言されたツナは、はあ、と、大きな溜息を吐いた。

売店に売られてある新聞を買ったハルはエレベーターに乗って上へ向かいながらも、ツナと同じように溜息を吐いた。

言われなくとも分かっている。そうしろと言われなくとも、誰よりも心配している三浦ハルが、怠るわけがないのだ。小鳥の囀りのように止む事無く、ヒステリックに、諭すように、懇願するように食いつく。

呼吸を止めて私を見てと言いそうだのだが、ハルは自分に言い聞かせるように言っていた。きっとハルも心の中では折り合いをつけられずに居るのだろう。

ぴかぴかに磨かれている廊下を歩きながら、一番端の一人部屋、音があまり届かないよう、人があまり出入りしない病室に入っている。

ノックして入るが、雲雀は返事をせず眼を閉じたままだった。

眠っているのか、気を失っているのかと、知らない人が見たら思うだろうが、ハルは傍の椅子に座って、雲雀の胸の上へ新聞を置いた。

「ツナさん、心配していましたよ。」

「・・・余計なお世話だよ。」

薄らと眼をあけて、怪訝そうな色を瞳に宿す。うんざりと顔を少し背ける。

「あと、迷惑もしてると思いますよ。」

「それはそうだろうね。でも、それを僕に言わないで君に言う所が腹立たしいね。」

「雲雀さんが群れてるとか言うからです。」

「一人で来ればいいだけの事だよ。」

「雲雀さんと向き合っていると、多分怖くて何も言えなくなるんだと思いますよ。」

「ふうん、君もそうなの?」

「それってギャグですか?」

「冗談は好きじゃない。」

「雲雀さんっておバカさんだったんですね。」

白いシーツの下に横たわっている雲雀の身体には傷がある。大きな傷では無く小さな切り傷や打撲だ。一般人から見たらそれなりの怪我なのだが、それくらいの傷は普通に生活していれば治るという、驚異の回復能力が雲雀恭弥の細身には宿っている。

だが、今回入院しているのは、腕に繋がった管から落ちる液体の為だ。ハルは少し眉を寄せて眼を閉じた。それと同時に雲雀もまた瞼を下ろした。

「ちゃんとご飯食べてください。」

「食べなくても、適当には動けるから。」

「じゃないと、また入院するはめになるんですよ?それってすごく嫌じゃないですか?」

つん、と顔も背けて背筋を伸ばして、身体で怒っているんだと言う事を表現していた。

「・・・・・そうだね。」

「ハンバーグ作ろうと思ってたのに・・・」

「・・・・そうだね。」

「次は気をつけてください。」

「善処するよ。」

瞼をうっすらと開けて、ちらりと盗み見た。

安らかな眠り顔は昔からちっとも変化が無い。眼が覚めた時の凶暴な姿とは裏腹に、眠り姫の様な儚い雰囲気を出す。なんて性質の悪い人だと思いつつも、その寝顔に思わず指先で悪戯したいとも思ってしまう。

ハルがそっと近づいて顔を覗きこむと、ぱちり、と眼をあける。

「何する気?」

「いえ、まあ。触りたくて。」

「ふーん。」

すっ、と細められた眼で見られた後、また瞼を下ろして眠ってしまった。

その様子を見ていると、此処は病院で怪我をしていて、栄養失調の彼氏がベッドで横たわって眼を閉じているのだから、頬をつつきたいなどと思っても、それはするべき事ではないとハルは気付き、座りなおした。

白い腕に繋がっている管を見つめながら、細い体から放つ破壊の力を振りかざし続けている雲雀恭弥を思って憂いの色を隠せず俯いた。

 

 

 

「また君は馬鹿な事を。」

ハルが雲雀の言う馬鹿な事を言って呆れさせた事があった。数え切れない回数、同じ台詞を聞いて同じように怒ったのだが、その日の事はハルは鮮明に覚えている。

夕暮れの並盛中の応接室の前の廊下にて、人気が無いのをいい事に、後方倒立回転飛びをしていると応接室から見回りに出ようとしていた雲雀とぶつかり、身体の痛みと共にそんな声を聞いたのだ。

雲雀もいきなりハルにぶつかられて尻もちをつき、痛みを伴っているだろうに、顔色一つ変えず、ハルにそう言った。

「ご、ごめんなさい・・・!」

「学校の廊下でそんな事してる女子初めてみたよ。」

「ハ、ハルも始めてしました・・・」

「ふーん。」

「本当ですよ!だって、こんな事緑中でしたらハル、アホって思われちゃいますもん。」

「アホなんだから仕方がないでしょ。」

「はひっ」

その頃の雲雀恭弥と言うのは、ハルが初めてあった頃のアウトローな雰囲気も幾分か削られていた。今思えば、あの時から青年から大人への階段を上ろうとしていたのだと気がついたが、ハルはその雰囲気にカルチャーショックを軽く受けている頃だった。

だから、ぶつかったハルに対して、トンファーで殴りかかろうとしてこない雲雀を、ちょっと心配もしていたのだ。

雲雀の身体の上から退かずに、赤く染まった廊下で話している内容はいつもの事だった。

ハルはどうしても湧きあがる情熱と、抑えの利かない若さの体力を発散したかっただけなのだと言い続けていると、雲雀はハルの足首を掴み、持ち上げた。

「な、なに、」

「怪我はしてないみたいだね。」

「あ、はい・・・」

「新体操部なんだから、もっとちゃんとしなよ。」

「はい・・・ごめんなさい・・・。」

立ち上がって屈伸をしてみた。何処にも違和感は感じられないが、まだ身体全体がちょっと痛い。

雲雀も立ちあがり、ハルの事をじっと見ていた。いつもの怒りとか苛立ちがいつも以上に希薄になっている事に気がついた。

「・・・雲雀さん?」

「何?」

「あの、怒ってますか?」

「別に。」

「そ、そうですか・・・」

鞄を持って帰ろうとした。雲雀に会いに来たのだが、何だか変な感じがした。雰囲気が、空気が、ハルに対しての変化が大きすぎたのだ。

「三浦。」

その動きを止める綺麗な声が、人気のない廊下を突き抜けるように響いた。踵を返そうとしていたハルの手首を掴んではっきりと呼んだ。

「僕はきっと死なないと思う」

「・・・はひ?」

「死ねないから。」

「・・・は・・・」

「それだけ。」

ぱっと手を離してハルの横を通り過ぎて行った雲雀。一人応接室の前に立っていたハルは、暫く雲雀の言葉の真意を考えたのだが、まったく分からないのでそのまま帰った。

一晩眠り、頭がさえても、まったく分からなかった。

この言葉は、マフィアになると、大きく歪曲して言ったのだと理解したのは、並盛から離れ、スーツを着てトンファーをいつも以上に使い始めたのを見た時だった。

 

 

 

雲雀恭弥は言葉が足りない。時折饒舌になるのは、ハルを叱咤する時だけだ。鼻を摘まむ行為で済むはずの事を、そう言う時だけ、長く時間を込めてじっくりと、ハルと向き合う。

ついてきてとか、そうするからとか、何を思って何を感じたのかも話してくれない。命令するように、決まりごとをハルにいいつける。そうするから、君はそうるすんだよ。と、きっぱりと断言する。

そう言う所が好きでもあり嫌いでもある。

行動だけで示そうとするような人でもあるが、それもあまりない。

骨格が変わり、学ラン姿ももう過去のものになり、手のひらもあの頃よりも大きくなっていた。病院のベッドに寝るよりも、自分の布団で寝る方が好きだと言っている癖に、行動ではまったく違う事をしている。

入院している事だって、連絡も入れてこない。長期間家をあけて帰って来た時、予定よりも長かったですね。と聞いたら、入院してたからね。と、あっさりというような人だ。

言葉が足りないといえば、まだ好きと言ってもらった事が無いとも気がついた。

ハルが気に言ったから傍にいて、向こうも最初ははっきりと拒絶を示していたが、諦めを見せて、次には受け入れるようになったけれど、はっきりと、向こうからの許しと好意を見せてもらった事が無い。

傍に居たのが草壁と三浦ハルで、頼るべき人である母親と父親が傍に居なかったから、その二人のどちらかにしたのだろう。男が男に頼るなどと、と、思って、三浦ハルにしたのだろうか。

入院して、売店で新聞を買ってきてくれと適当に指図出来る簡単な女だからよかったのだろうか。

ハルはそっと立ち上がり、病室を後にした。音を立てないように出たが、きっと雲雀には聞こえていて、ハルが出て行った事が分かったのだろう。

それでも何も起こらないし、何も起きない。

家に戻って着替えをとって来ようと思った。そしてツナの言葉をエレベーターに乗った時にぱっと思い出して、眉根を寄せた。

 

 

 

退院してから一週間、また病院に逆戻りだ。白いシーツに埋もれる雲雀恭弥。

だが今度は、雲雀恭弥に新聞を買って来てくれとは言われなかった。これからはもうやめてください、前も言ったじゃないですか。何度言わせれば気が済むんですかと、悪態を吐く事も出来なかった。

緊急病室に運びいれられ、身体に埋まった弾丸を取り出し、呼吸器をはずせない状況に陥ってしまった。

病院のエレベーターの前の椅子に座り、ドアが開いて出てくる、小さな子供とその母親らしき人が、手を繋いで出て行く様子をじっと見ていた。

隣に座ったツナが、何を言うべきか考えている隣では、ハルは何も考えていなかった。ぼんやりと、入院しているのはきっと父親なのだろうなと感じているだけだった。雲雀恭弥の事は霧散してしまったかのように頭から抜け落ちていた。

「その、俺止めたんだけど、雲雀さんがどうしても行きたいって言って・・・」

「はい・・・」

「・・・止めるべきだった・・・何か、嫌な予感はしてたんだけど・・・」

「はい・・・」

「・・・ハル、大丈夫?」

「さあ、どうでしょう・・・どうなんでしょう・・・」

お腹に弾丸が撃ち込まれた。それでも死なない。それならそれでもいいとハルは思った。本当は、痛いのは嫌だし、怖い事もしてほしくない。けれど、それを始めたとたんに、雲雀恭弥の鋭さは削れていき、普通の人と変わらない穏やかさを持ったと言うのなら、仕方のない事だった。

だが、その丸みを帯びた雰囲気が、いずれ弾丸が貫通して取り出せず、そこから溢れだす血の噴水によって衰弱し、死んでしまう事になりかねない。

一体どうすればいいのか、ハルには分からなかった。雲雀に仕事はほどほどにと言うと、分かった。という。はっきりと了承する。それも柔らかく、寛大に受け止めてしまうから、ハルもそれ以上何も言えない。分かったと言っているのだから、それ以上深くえぐりこむ事も出来ない。

 

死ねないから。

 

それってどういう事なんですか。ハルの為に死なないって事だと思っていましたけど、それって、本当に死ねないってことなんですか?ハルへの想いとかかんけいなく、血みどろの戦場の中での自分の幸運さを自慢したかっただけなんですか?自分の強さを誇示したかったんですか?死ねないから死なない。だから心配などせずに自由にしてくれって言う事なんですか?そんな回りくどい事しない人だったじゃないですか。それすらも変化したって事ですか?雲雀さん、貴方はそんなに弱い人だったんですか?

 

「仕事が多くて困ってる訳じゃなくて、殆どの仕事が雲雀さんに回ってる。俺もセーブして回してるんだけど、もっとくれって言うんだ・・・ハル、雲雀さんってそんな人だったっけ?もっと、こう・・・自由な人じゃなかった?何だか、ここ数年の雲雀さんはちょっとおかしいと俺は思う。」

「・・・ハルも、そう思います。」

自ら束縛を望んでいるように見える。自傷行為。

鎖を身体に巻きつけて、首にしっかりと締まるように巻いた後、雲雀に憎しみを持った相手にその鎖を渡しているような気がする。

「人が変わったみたいで、ちょっとびっくりしたけど、前より優しくなってるからって軽視しちゃってたから・・・」

「そう、ですね。ハルもそうです。」

そっと眼を閉じて考える。放置してしまっていた、あの夕暮れの廊下から、おかしいと気がついていたのに、怖くて・・・けれど、受け入れる事が出来る変化だったから。

病室で眼を閉じている様子を思い出した。自分の部屋で窓の外を見ている姿や、畳の部屋に気流しを着て座って考え事をそている姿。ぼんやりとした薄靄にかけられたその映像は、なんて儚いんだろうと思った。

そうだ、あの橙色に染められた景色の中で、まるで太陽に焼かれているかのような儚さがあった。ちょっと触れれば割れてしまうシャボン玉のような希薄さがあった。

俊敏で重い、振る腕の力とは違う、気配の歪みがあったのだ。

いつからシグナルを発していたのか。夕暮れよりも前に発していたのではないか。ハルは思いだそうとするが、思い出せない。雲雀恭弥は傍若無人で最強であり、弱い人だった。その弱さを最初から見せていないだけで、完全なる最強では無かったのだ。

腹に埋まった銃弾によって意識を失ってしまった雲雀の事を考えた。あの場所で横たわって、呼吸器をとりつけられて、意識は抑え込んで、痛みと常に戦っていた事を考えた。痛みが好きなわけじゃない、痛めつける事が好きな人。

自分勝手だけれど、痛いのは嫌だ。相手にとっても、彼にとっても、自分にとっても、それは恐ろしい事だ。やめてくれと言うのは痛くないけれど、言われるのはきっと痛いだろうと思って言わなかった。

その痛みも受け入れるべきでは無かったのか。普通を彼に求めれば、拒絶されると思っていたけれど、もしかしたら、それを求めない事に彼は苦しんでいたかもしれない。

今まで思いつきもしなかった、茨に覆われた道を発見した気分だ。雲雀恭弥は分からない人だ、考えてもきっと彼の本質にたどり着く事は無いと思いこんでしまっていた。

エレベーターが稼働する前で、ハルは静かに少しだけ泣いた。

 

 

 

「三浦、多分僕は死ねない。」

 

不死身だと言うわけじゃないが、死ぬ事が人よりも近く、そして遠いのだと彼は言った。

ハルは雲雀の言葉に耳を傾けた。病院の機械から、点滴から、病気から抜け出し、自分の家へ戻ってきた雲雀がハンバーグを食べながらそう漏らした。

耳になじむ低い声。遠い過去とリンクした。陽炎が揺らめいて、ノスタルジックな橙色。

箸の持ち方が凄く綺麗で、頭は丸く、和食が好きな雲雀恭弥。

「雲雀さんにはそういうイメージがありますよ。」

「死なないって事?」

「まあ、死ぬってイメージがある人なんてもっと珍しいですけど・・・雲雀さん、強いですから。」

ぱくり、と、暖かいご飯を食べながら今言った事が嘘だと感じた。全然強くない、この人は、ハルが信じていた事よりも弱かった。どうしたら死ねるのか、それだけの目的のために、今まで蝋燭の炎が風に煽られたように揺らいでいたのだろうか。

「だから、無茶ばっかりして、病院の常連さんになったんですか?」

「そうじゃないけど。」

「結果的にはそう見えますし、そう聞こえます。」

「あそこは好きじゃない。」

「好きな人の方が珍しいです。」

「ここのほうが好きだよ。」

「・・・雲雀さん。」

「何?」

「死なないでくださいね。」

「だから、死ねないんだって。なんでか分からないけど。」

そう言ってぱくぱくと本格的に食べ始める。ハルが心をこめて作ったハンバーグ。手のひらから愛情を伝えて、火を通して熱を加える。

眼の前にいる綺麗な男の人はマフィアで、人を傷つけるのが大好きで、頭が良くて、和風な家が好きで、和食が好きで、頭は丸くて、小動物には優しくて。

そして、人一番死というものが分からなくて、興味がある人。

子供の不思議がそのまま、真実味を彼の周りに漂っているのに、それの本質が分からなくて右往左往している人。

そんな雲雀恭弥の周りにいる三浦ハル。小蠅のように、蛾のように、蜂のように。

新体操部で、甘いものが好きで、可愛いものが好きで、綺麗な人が好きで、きぐるみがすきで、子供が好き。

人の事を考えているようで、本当は自分の事しか考えてない人間。雲雀の為では無く、ハルの為に雲雀に死んでほしくないのだと気がついた。

雲雀に死というものを教えることは出来るかもしれない。だが、雲雀はそれを望んでいない、きっと、自分の手で、無意識の疑問に無意識に真実を掴まなければいけない。そうしないと、ハルが彼に求める大切な事は、それからじゃないと伝えられない。

雲雀恭弥と同じ場所に立つ権利は、黙して後ろから支え続ける事で得る事が出来るはずだ。

そしてハルは雲雀では無く、雲雀恭弥を押しつぶそうとする車輪を押しのけるために支えればいいのだ。

「雲雀さん。」

「何?」

「もう少しお仕事、セーブしてもいいのではないでしょうか?」

「善処するよ。」

「もう、口ばっかり・・・」

「善処するよ、君がそう言うのなら。」

だからもう、何も言えなくなってしまう。

 

 

 

風さん見てると、雲雀さんが柔和になったらなんて美少年なんだろう・・・とか思います。

つんけんした雲雀さんじゃなくて、こう、柔らかい感じの雲雀さんも見てみたいです。